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第5話 畏怖を集める自己紹介

last update publish date: 2026-04-29 06:05:19

 助けた少女は、黎明館学園の2年生だった。

 名前は静森しずもり未美みみさんというらしい。なぜか向こうの方から名乗ってきた。

 リボンタイの色や記章で、私が1年生だとわかっただろうに、彼女はとても丁寧に頭を下げてきた。

「あなたは恩人です。あの、ぜひお礼をさせてください。学校の案内とか、ごはん奢るとか!」

 態度だけでなく口調まで丁寧だ。

 私は苦笑した。

「いえ、当然のことをしたまでですよ。先輩」

「だ、だったらせめて連絡先だけでも教えてください!」

「先輩。学校に遅れますよ。私は駅員さんに詳しい事情を話してきますから、どうか先に行っててくださいな」

 やんわりと告げて、背中を押した。

 何度もこちらを振り返って頭を下げながら、駅のホームから出ていく少女。

「ああいう真面目な子こそ、私が護らなきゃね」

 入学早々にいいことができて、私は上機嫌だった。こうしてみると、ブラック企業での地獄の日々も、意味があることだったと思える。

 その代わり、遅刻は確実になった。

 駅員さんや警察の方は、時間を気にして「もう行っていいよ」と言ってくれたが、私は最後まで付き合った。

 彼らの言葉に甘えて事情聴取を頃合いのいいところで切り上げ、入学式に間に合わせることも、やろうと思えばできた。

 けれど、私はそれをしなかった。

 これはもう、私の意地――いや、信念だ。

 もちろん、学校には連絡を入れている。黎明館学園の事務室には、個人的に『お話できる』人間がいるのだ。

 学校に到着したときには、入学式の時間を大きく回っていた。

 10年振りの校舎に目を細めながら、私は教室へと小走りに向かう。今の時間なら、LHRが始まっているはずだ。

「失礼します。遅れて申し訳ありません」

 私は後方の扉から教室に入った。

 真新しい制服に身を包んだ30人ほどのクラスメイトからいっせいに視線を向けられたが、私に動揺はない。

 理由は簡単。何も恥じることがないからだ。

 教壇に立つ担任教師が、手元の学生簿に目を落とす。怜央に負けず劣らずの美形である。

 確か名前は、伊集院いじゅういん颯真そうま。年齢は24。担当科目は英語。

 誠実で優しい王子様と、生徒だけでなく保護者からも評判な若手教師だ。

 黎明館学園に勤める教師陣のプロフィールは、あらかた頭に入っている。

 そういえば、伊集院先生をネタに漫画を描きたいと朝菜が言っていたっけ。何の漫画だろう。

「えっと、井伊さんだね。事務室から連絡を受けてるよ。遅れた理由は確か……」

「はい。痴漢を捕まえていました」

 ざわ、と教室がざわめく。

 伊集院先生は少し困ったように眉を下げながら、学生簿から顔を上げた。

「うーん。担任としては、女性が率先して危険に飛び込むのは避けてほしいところなんだけど」

「申し訳ありません。我慢できなくて」

 再びざわっ、となるクラス内の空気。

 伊集院先生が頭をかく。

「我慢できなくて、か。とにかく、無事ならよかったです。井伊さんの席は前の方だね。それと、自己紹介をお願いできるかな。他の皆は、もう済ませてしまったから」

「わかりました」

 クラスメイトたちの視線を一身に感じながら、私は自分の席に向かう。通学鞄を机に置くと、そのまま教壇の横まで歩いた。

「ええと、井伊さん?」

「私ひとりなら、この方がよいかと思いまして」

 まるで転校生が自己紹介するように、クラスメイトを見渡す。

 眼鏡のブリッジを人差し指で触れてから、私は口を開いた。

「皆さん、はじめまして。井伊こよりと申します。趣味はアロマでリラックスすることと勉強……それから、人のお話を聞くことです。あ、私のことは気軽に『いいこちゃん』って呼んでくださいね」

 にこりと微笑む。

 自己紹介はこのくらいでいいだろう。実年齢を明かして、クラスの子たちをこれ以上混乱させるべきじゃない。

 たぶん、伊集院先生は私が26歳だと知っていると思うけど、私が自ら明かさない限り、黙っていてくれるはずだ。

 入学手続きの際、そういう話になっていたから。

(これでいい。後は一礼して自分の席に戻れば――)

 胸の奥が、ふとざわついた。

 内心で、どろりとした感情がわき上がってきた。

 10年前、私をいじめた人たちも、私のことを『いいこちゃん』と呼んでいたのを思い出す。

 うん。これは言わないでおこうと思ってたけど、やっぱり言おう。

「それと――私がこの世で一番嫌いな言葉は『真面目な奴ほど馬鹿を見る』です。もしそんな場面を見つけたら、我慢できなくなってしまうかもしれません。ふふふ」

 笑う。微笑むのではなく、笑う。

 それだけで、クラスの空気がぴりっと緊張したのがわかった。隣の伊集院先生が、喉を鳴らす音が聞こえた。

 真面目な人間が損をする。

 正直者が馬鹿を見る。

 そんな世の中、私は大嫌いなのだ。

 そんな世の中を許さないために、私はここに来たのだ。

「以上です。皆さん、これからどうぞよろしくお願いしますね?」

 可愛らしく小首を傾げながら、今度は微笑んだ。

 拍手は起こらなかった。

 その代わりに、クラスの半分くらいの生徒が『こくこくこく……!』と何度も頷いていた。

 ふふ、緊張しちゃって。可愛い子たち。

 この瞬間から、クラスの中で『いいこちゃん』のあだ名が定着し、私は畏怖の視線で見られるようになった。

 悪くないスタートである。

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